稲積山は、山頂付近から木簡が発見されるなど、歴史的に価値の高い山であると言われています。全国で4万社あまりある八幡さまの総本宮である宇佐神宮。その神様は最初、宇佐郡辛国宇豆高島(稲積山)に天から降りた後に、大和、紀伊、吉備の国そして最後に宇佐群馬城嶺に現れ、数社を移った後に現在の宇佐神宮に落ち着いた、というのが定説となっています。
山容は国道10号線から見ると端正な円錐型で、「宇佐富士」という名にふさわしい山です。標高は406mと登りやすく、多くの登山者に親しまれています。登山道の途中からは宇佐平野が、山頂の南側からは石楠花で有名な鹿嵐山、石山、高山、八面山、由布岳、鶴見岳の素晴らしい眺めを味わうことができます。
宇佐市最大のため池で、この地域の農業用水保全のために、江戸時代の初期に築堤工事が行われました。
小倉の池は、災害が発生する度に土手が決壊し、その修復工事に村人は思案に暮れていました。その折に「元重村の”おくら”という女性が現れ、人柱に立つことを願い出た。」という秘話が伝えられています。今でも毎年8月には、関係の自治区主催で、「おくらさんの追悼供養祭」が執り行われています。
実りの秋になり、池の水量が少なくなると、奈良時代の寺院跡が姿を見せます。現在は、東西11.4m、南北5mの土壇とその上に残る8個の礎石が確認できます。これはお寺の本尊を安置する金堂の基礎と考えられ、谷の奥に建てられた一堂形式の小寺院が想像されます。
宇佐市中心部の四日市から県道44号を耶馬溪方面に車で5、6分走ると、右手の山の中腹あたりにぽかんとあいた穴が見えます。そこが天福寺奥の院です。標識を目印に車を進めると、川沿いに「天福寺奥の院入口」という柱を見つけることができます。そこから奥の院までは、徒歩で山道を20~30分ほど登ります。途中、石段が壊れているところもあるので、注意してください。
奥の院は石窟になっており、ここから麻生方面を望む横山谷の景色は必見です。また、ここには70体余りの木彫りの仏像があり、小倉池にあった千日坊久全寺が大友氏の軍勢に焼かれた際、ここに移されたといわれています。天平時代に作られたといわれている塑像三尊像は重要文化財に指定され、保存修復し、現在は宇佐風土記の丘にある県立歴史博物館に展示されています。
晴れた日には周防灘だけでなく、山口県宇部市まで望むことができます。
宇佐市の山だけでなく、国東半島の山々まで一望できます。
田植えが終わった直後の景色です。黒地区周辺を囲う山々が水面に映っています。
妙楽寺経塚
2004年12月に経典を入れる経筒が出土した宇佐市木内の妙楽寺境内で、新たに経塚三基が発見され、中から経筒や四耳壷(しじこ)、写経紙を巻いた経巻(きょうかん)など計6点が出土しました。いずれも12世紀前半ごろの遺物とみられています。
経塚は経典を経筒やつぼに入れ、土中に埋めた遺跡です。山岳部で偶然見つかる場合が多く、この場所のように、平たん部の発掘調査で見つかるのは珍しいといわれています。
三基の経塚は2004年の出土場所から約5mの地点で見つかり、穴の直径が30~50cm、深さ20~50cmで、中は石で組み立てた部屋になっていました。 一号経塚からは、中国南部からの四耳壷(口径10cm、高さ21cm)など、二号経塚からは、国産の白磁わん(同17cm、同7cm)など、三号経塚からは、銅製経筒(同6cm、同27cm)、紙本経巻(長さ6cm、幅4cm)が発見されました。出土した壺の一つには、底に墨書で「嚴(厳)」のと記されており、山岳宗教の地・求菩提山(福岡県豊前市)「中興の祖」で、妙楽寺で没したとされる僧・頼厳の伝承との関連について、調査されています。